紀州漆器の未来の形は、
和歌山の風土が育んだひょうたん。
紀州漆器は和歌山の風土が育ててきた器。特に漆を塗って固めるために乾燥させなければならない。漆の乾燥に重要なのが湿度。それは漆の中の油分が湿度と反応するからである。そのため梅雨の時期の方が漆は乾きやすく、逆に冬の乾燥注意報が出ている日は乾きにくい。ある程度の湿度があり、気温は22~30度くらいが良く乾くとされている。この気候条件は、紀州漆器の素材となる良い木も育てる。これらの条件を満たす和歌山の風土は、漆器を作るのにうってつけの土地なのだ。
伝統工芸士・林克彦も和歌山の穏やかな気候に育てられてきた。代々、紀州漆器職人の家系に生まれ、修行時代は京都の北白河へ行き、漆芸家・服部峻昇に師事。彼の元で主に蒔絵と漆器づくりの修業を行う。その後、和歌山に戻ってきて他の職人たちと切磋琢磨しながら漆塗りの技術を高めていった。しかし、2000年に入って周囲からろくろを挽く職人たちがいなくなり始める。林は近い将来、同じ地域で活動するろくろ挽きの職人がいなくなり「器の木地」が手に入らなくなるのではないかと案じた。自分で調達できる素材を探すことが重要課題となり、ついに林は自分の転機となる素材を見つけ出す。
最初に取り組んだのは、みかんの皮。和歌山はみかんの豊かな産地であることに目を付けた。林の素材探しの理念は、「和歌山の風土が育てたもの」を使用すること。既にみかんの皮を使って器を作っている職人もいたが、漆塗りの器を作るのは林だけである。
そして、職人生活の転機となる素材と出会う。それが、ひょうたん。ひょうたんもみかんと同様、地元で調達することができる素材。林は語る。「ひょうたんは全部形がちゃいます。その不揃いな感じがええんです」。通常、できそこないの形は商品としては価値をなさない。しかし、林が漆を塗って器に仕上げることで生まれ変わり、新たな可能性を持つ。ちょうど蒔絵の仕事が減ってきた時期で、林は器に絵を描かないというのは紀州漆器の魅力を伝えられていないのではないかと感じていた。その矢先、みかんやひょうたんと出会い、素材や形の面白さにスポットライトを当て、新たな切り口で紀州漆器の魅力を伝えられるようになった。林は自分の仕事についてこう語る。「漆がどんなものか知っていたら、後は自分の工夫で様々なものに使える。器には合わんやつもあるけど、とりあえず色んなことを試して何があかんかを探る。分かったことは、形がしっかりしていないもの漆塗りには向いていないということやね」。最近では新たな素材にも挑戦し、椿や梅干しの種に漆を塗り、アクセサリーやケータイストラップなどを製作している。
林は語る。「伝統は守るだけじゃなく、作っていくもの。受け継いだ技術を使って新しいものを作ることも伝統。そう言った意味では、ひょうたんの器も伝統の形やと思う」。そして、こう付け加える。「次の時代に残っていけばまたそれが伝統になる。100年も200年も残れば、それが伝統になる。そのために変わっていかなあかん。何十年も前と同じ技術で同じものをつくってはあかん」。ひょうたんは、紀州漆器の未来の形。林は様々な素材に漆を塗って器へと仕上げることで、紀州漆器の可能性を引き出す仕事を見つけたのだ。
林が考えた紀州漆器の可能性は
現代の食卓を演出すること。
昔から職人が直接、お客さんの要望を聞いて仕事をすることは少なかった。通常、職人の仕事は問屋や小売店から入ってくる。そのため、直接お客さんの声を聞いて物を作ることはほとんどない。すると職人は、本当にお客さんが欲しいものではなく、問屋や小売店が売りたいものを作ることになる。
そんな職人とお客さんとの関係に危うさを感じ、5、6年前から林は自分で作った物を自分で売るようにしている。最初、林自身が「これや!」と思った物を作り売っていたが、お客さんには全く売れなかった。その時、林は大きなことに気づかされたと言う。それは、使う人のこと。「どんなに技術が優れていても使ってもらえる物を作らないと、それはただの自己満足にすぎません」と林は語る。彼が目指したのは、今の生活の中で使いやすい器。さまざまなお客さんと出会い多くの声を聞くことで、自分が作るべき器が分かったと言う。
道具として使いやすいということ。例えば、紀州漆器は料理用の器としても愛用されてきた。紀州漆器は他の産地よりも漆を厚く塗るのが特徴で、他の器に比べて熱が伝わりにくい。熱い汁物を入れた場合でも、手にちょうど良い温もりを感じさせることができる。同時に、厚みのある紀州漆器は独特の「ほっこり感」も演出し、昔から食卓を豊かなものにしてきた。そこで林は、洋食ベースになった現代の食文化に合わせて、洋食を楽しむための紀州漆器を考えた。彼は、ワンプレートで食事を楽しめる器やパスタ皿などフォークとナイフで食事を楽しむときの器を提案。紀州漆器と現代の食文化の関係から、新たな可能性が広がっていく。
林の祖父が紀州漆器の職人だった頃はまだ重箱や硯箱を作っていた。しかし、現代では求められにくくなってしまった物である。林が紀州漆器を通して出した答えの一つは、食事を楽しめる器を作ること。これからも林は紀州漆器を現代に合う形へと変えることに挑み続ける。