湿気に強く、火事から守る。
日本人に愛される桐箪笥。
古くから大阪・泉州という地において箪笥は生活に根付いた工芸品。そもそも庶民になじみがある理由の一つは、桐箪笥が嫁入り道具だったこと。嫁入り道具には、親戚に対してのお披露目や相続的な意味合いが含まれている。最近では結納をあげる夫婦も少なくなってきているが、泉州地域には婚礼家具をトラックに満載して相手方の家に行く「荷出し」の時に、「泉州長持ち歌」を歌いながら向かうという風習が今もなお残っている。
もう一つは、日本の気候・風土にある。日本は湿気が多く、そして海に囲まれており湿度が高い。昔から衣類にカビが生えるなど収納の方法を工夫しなければならなかったからだ。さらに密閉良く作る桐箪笥は湿気に強いだけではなく、火にも強い。桐は燃えにくい木材であり、火事が起きても表面だけ焼けて中身には被害が及ばない。桐箪笥は着物の収納だけではなく、掛け軸などの高級品を守る「保管庫」としても庶民に愛用されていた。
桐箪笥は、新しい家族の門出を祝う。そして、家財を守る必需品。「桐箪笥はまさに一生もんですわ」と田中が語る。一度購入すれば、その丈夫さゆえに何十年も使うことができる。さらに修繕を加えれば、まさに一生ものだ。親子何代にも渡って、着物をはじめ、家族の大切なものを守り続ける桐箪笥。そんな日本の一般家庭に必要なものを、伝統工芸士・田中美志樹と田中家具製作所(初音の家具)は確かな技術を駆使して作り続けている。
田中美志樹が作る桐箪笥を
現在も求める理由。
田中家具製作所(初音の家具)のいわば「プロデューサー」の役割を担う伝統工芸士・田中美志樹。彼は最初から職人ではなかった。家業は桐箪笥製作であり、子どもの頃から材料の木を干す手伝いなどをしていたが、大学卒業後、サラリーマンになって半導体の営業をするという経緯を持つ。しかし、子どもの頃から職人たちの高い技術を目の当たりにしてきた田中が職人の道を進む決意するには、あまり時間がかからなかった。
職人として歩むことを決意した田中。彼の父親はもちろん、会社に勤める他の職人たちによって技術が磨かれていく。現在、勤続60年のベテラン職人など田中家具製作所に勤める多くの職人たちから彼は技術や知識を教わってきた。
昔は300軒以上あった箪笥屋も激減した中、田中家具製作所(初音の家具)は生き残っている。彼はその理由を「機械を入れずにコツコツと手仕事をしてきたのが功を奏した」と語る。機械では実現できない緻密な技術はどうしても手仕事でなければならない。逆に、手仕事で仕上げる会社が少なくなったことで、同時に競争相手も激減した。その確かな技術は田中をはじめ、会社にいる職人たちにしっかりと受け継がれている。それ故に、田中は「最近はええもんを作ろうと心掛ける会社がなくなりつつある」と語る。
「昔は箪笥を売る現場に販売店の名前はでるが、作り手の名前は出なかったね。けど、今は箪笥とともに作り手の名前もきちんと届けることができる。そうすることでどこのメーカーが作ったか分かるようになった。その分、田中家具製作所(初音の家具)の名に恥じない物を作らなければならないという責任と日々戦っていますよ」。田中をはじめ田中家具製作所(初音の家具)に勤める職人たちは、自分たちが背負っている会社の看板とそして技術に誇りを感じ、今日も真摯に桐箪笥と向き合う。
我が子を見守るように
木が育つのを待つ職人。
田中の大きな仕事は、お客さんの要望に応える桐箪笥を作るために最も適切な木を選び、桐材部位ごとに仕分けし、組み立て方を考えて職人たちに伝えること。この仕事を「木取り」と呼ぶ。
田中家具製作所(初音の家具)は特に材料にこだわる。良質の国産および米国産の桐材を使用し、品質の劣る中国桐は一切使用しない。桐は製材された部材を仕入れるメーカーが多い中、全て丸太から購入して製造する。コストは割高になるが、高品質の桐箪笥を作るために原木から購入し、材料に妥協はしない。その原木の姿や形を判断して、使用する部分に応じて桐の板の厚み等を決め、柾目・板目に分けて製材。この仕事は原木が持つ美しい年輪を生かすために非常に重要な工程だ。原木を木目・木質に応じて製材した後、屋外で風雨にさらし銀白色になるまでおよそ2年の歳月をかけて自然に乾燥。特に、雨の日はありがたいと田中は言う。桐は灰汁が強く、黒ずみの原因となる。しかし雨が木の中まで染み込むことで、灰汁がある程度抜ける。しかし、抜けきることはない。かすかに残る灰汁は家財を守るためのある効果を生み出す。それは防虫効果。灰汁の成分の中には防虫効果の色素が混じっているからだ。桐箪笥は防虫剤いらずと言われている由縁である。雨は害ではなく、まさに恵みの雨。自然の恵みに触れ自然乾燥させた後、屋内に約1年間おいて、ようやく桐箪笥の材料として使用できると判断する。
田中が若い頃、父親が毎朝欠かさず工房に置いている桐材を見て回っているのを不思議に思っていたらしい。実は、彼の父親はどこにどんな木が置いているのかを確認し、木の乾燥の具合を見て回っていたのだ。もちろんこのことは現在、田中の日課になっている。
良い桐箪笥には、時間と日本の気候が育んだ桐材が必要不可欠。最も良いタイミングまで、田中は手を出さず桐をじっと見守る。それはまるで可愛い我が子の成長を見守るように。「あの木で作るのが楽しみというのももちろんありますよ。それまでうちの箱入り娘として大切に見守ります」と田中は嬉しそうに語る。
メンテナンスや修理を施し、
人と人を繋ぐ桐箪笥。
「田中さん所の箪笥は開きにくいってたまに言われます」。桐箪笥の質が高ければ高いほど、湿度の高い地域や梅雨時になると引き出しが開きにくくなる。湿気が入らないように隙間なく作っているからだ。ある時、兵庫県の山奥に住むお客さんから問い合わせがあった。全く箪笥が開かない、と。田中は箪笥を購入していただいたお客さんとは売り買いの関係で終わらず、その後のメンテナンスでお付き合いをする。箪笥が開かないと言われれば、箪笥が使われている土地まで赴き、その土地に合った寸法に調整に調整することも多い。その時、赴いた場所はまるで雲の中のような場所。周囲は霧だらけの湿気だらけ。箪笥はびっくりするほど開かなかったという。何時間もかけてきちんとメンテナンスを行い、梅雨時や湿気の多い場所だと不具合が生じやすいことを説明すると、お客さんは理解を示してくれて最後は喜んでくれると言う。湿気を防ぐためにギリギリまで隙間なく作っている性質上、湿度が高い場所では木が収縮してしまう。けれども、それは中の衣類を守るためだ。開きにくさを解消することはできる。それは単純に、隙間を作ればいい。しかし、田中はきっちり作ることにこだわっている。お客さんや販売店の方が田中の桐箪笥を求めるのは、きっちり作られていて良いものだと理解しているからだ。
また田中家具製作所(初音の家具)の高い技術は修繕にも応用される。それが数十年前の箪笥を現代に蘇らせる仕事。このことを「洗い直し」または「洗い更正」と呼ぶ。例えば、ひいおばあさんが使っていた箪笥を修繕して欲しいという依頼があった。それは、およそ1世紀近く前の桐箪笥。しかしどんなに古くても直せるのは桐箪笥ならでは。大事な行程の一つとして、窯で100℃の熱湯を沸かし箪笥全体を洗う作業がある。このことは蝋など仕上げで使用されたものを洗い流し、元の生地に戻すために重要だ。そして、傷があるところは鉋(かんな)をかけて直すという行程。木が欠けている所に木を取り付ける「埋木」や、痛んでいる古い木を現代の桐材の張り替えなどを行っていく。そうして現代の材料と技術をもって蘇る桐箪笥。もちろん、面影や想い出の傷は残したままで。
桐箪笥は、数十年後に修繕やメンテナンスを施せば一生使える。桐箪笥は家財を守る保管庫としての機能も持つが、家族の大事な思い出も残す。伝統工芸士・田中美志樹、そして田中家具製作所(初音の家具)にとって、長い時間を超えて人と人を繋ぐことも大事な仕事の一つだ。