京友禅 五代・田畑 喜八

五代・田畑喜八が語る、
死ぬまでやり続けること。

“喜八”の名前は、江戸時代・文政期より存在している。現在は、五代・喜八。初代は“小房屋喜八”を名乗っていたが、明治以降、“田畑喜八”の名が継がれる。そもそも田畑家は最初から京友禅の染め家ではなく日本画家としてその名が継がれてきた。“三代・田畑喜八”は同じく画家の上村松園と同門だった。しかし、五代・喜八はその名門の名前をすぐさま背負うことを拒んだ。「これからの時代は美術だけではなく歴史や社会も勉強しなければならない」と感じ、早稲田大学への進学を希望する。大学時代は日本美術だけではなく東洋美術・西洋美術・建築も学び、当時の社会情勢や流行を肌で感じ、そして京都へ戻って京友禅の道へと進んだ。
「ある意味では、欲が深いねん」と、五代・喜八は語る。好奇心や探究心は満たせば満たすほど飢えていくもの。知りたいことや作りたいものは時代が変われば増えていく。そのためにとにかく勉強が大事である、と。だからこそ70歳を超えた今でも「私なんかまだまだ学び足らん」と言えるのだろう。「年寄りぶったらあかん。これからも貪欲に勉強していく。トップでふんぞり返ったらあかんのです。私には、まだまだやるべきことはある。死ぬまで勉強せぇっちゅうことですわ」。例えば、今日の青空と明日の青空では全然色が違う。雲も、海も、山も、毎日刻々と変わっている自然を見ることが一番大きな勉強だと五代・喜八は語る。
さらに田畑は「ええもんができたと思っても、バカもん!こんなもんで満足するな!と声が聞こえる。これでええってことはない。だから欲が深くないといけない。美に対して貪欲であれ。際限はない。まるで宇宙みたいなもんや」と、語る。五代・喜八も先人たち同様、美に対しての挑戦・冒険を繰り返す。それは、死ぬまでに最も自分が納得できるものを作るために。「最期はな、自分でお前ようやったな!と自分で自分を褒めて死にたいんや」。そして、こう付け加えた。「ほんで地獄に行くんや。天国には行きとうない。天国は1週間で飽きる。変化と刺激のある地獄に行きたいな」。

美の総合演出家・田畑に残る
“華主”という考え方。

五代目・田畑喜八の名前を襲名したのは平成7年(1995)。ただ伝統的に受け継がれるものは、名前・ものづくりの技術・所作振舞いだけではない。今や田畑家にしか残っていない「お客様の呼び方」も受け継がれたものの一つである。それが、“華主”。「着物をお召しになる女性すべてが主人公」という想いを呼び名に込めて代々残し続けているのである。“華主”とは単なる呼び名だけではなく着物をお召しになる人を歓ばせるように、という作り手の考え方も含まれている。だから、五代・喜八は「自己満足やいい作品づくりは本来の使命ではない」と語る。
では、代々田畑家が華主に何を行ってきたのか。それは、美の総合演出である。着物だけでは人に美を飾ることはできない。帯・帯揚げ・毛髪の色などにもきちんと美の心を宿す。そして美の総合演出の“とどめ”は、口紅の色。口紅の色をきちんと見立てないと、高価な帯も無駄になると言う。
そのため、五代・喜八は“現代の美意識”や“流行色”の研究も熱心に行う。例えば、デパートへ行ったら化粧品売り場へ直行するのは、今の化粧の仕方や髪の色を知るためである。
五代・喜八は、口紅について華主にこう伝えるらしい。「青味の赤と黄みの赤、それぞれ濃淡3色、6本ずつ持ったら大丈夫」これは女性が“ケータイ”できる美意識の提案である。口紅の色一つで華主の美しさが台無しにならないよう、五代・喜八はさまざまな現場に足を運び、今の時代に合わせた美を演出する。

色と色、そして空気が
最高の風景を表現する。

京友禅の特徴は「特徴があるようで特徴がないこと」、と五代・喜八は語る。そもそも京都という立地において、東からも西からも仕事を受けなければならなかった。だから特徴を持ってしまうと、仕事を受けられなかったらしい。逆に、加賀友禅は特徴をつけないと京都に勝てなかったので独自の発展を遂げた。
しかし、京友禅の「差す」色の多彩さは世界の染色の中でも類を見ないと言われている。無論、田畑家も色の扱いには非常にシビアである。まず、田畑家の財産として受け継がれているのが、膨大な色見本。一つの色を選ぶのにも様々な選択肢がある。このことは、季節や気候、自然や風景のわずかな変化を愉しむ日本の文化と関係している。だからこそ、五代・喜八は伝統工芸の世界では色の呼び名を「外来語」ではなく、「和名」を使用した方が良いと主張する。例えば、ピンク一色でもその種類は様々であり、「こまちさくら」や「乙女色」など多彩である。まさに、色は無限大にあるのだ。
さらに五代・喜八は、色の組み合わせについて語る。本来、緑系統と藍青系統の配色は悪いとされているが、自然界では青空に松の木が生えていても異質に感じないのはなぜか。それは、松の木と空の間に、「空気」(距離・間)があるから上手く調和しているのだと言う。京友禅では、「糸目」が空気の作用を担い、様々な色の組み合わせを実現できる。
色選びは醍醐味。本来最初に華主に決めてもらうのは「構図と文様」らしいが、ほとんどの華主は色から決めると言う。それほどまでに色のイメージは強く、同時に色はその人自身を表わす。だからこそ、田畑家の色選びは華主を彩るための最初の大仕事である。

父のメッセージと
“画の六法”の共通点とは。

五代・喜八が幼少の頃、おやつやお小遣いに釣られて祖父の人間国宝“三代・田畑喜八”の作業風景を見ていた。その時、祖父は「見てなあかん、こうしなあかん」とは言わず、ただただ黙って自分の仕事を見せていた。学生生活を終え田畑染飾美術研究所に入所してからは、父親の“四代・喜八”からのスパルタ教育が始まる。例えば、仕上げに対し遅すぎると言われたかと思えば、今度は早すぎる、と。中庸な時間で仕上げれば「お前の線は針金じゃ。桜の心、松の心が分かっとらん」と突き返される。そんな毎日が続き、師匠である父親とのケンカが絶えなかったそうだ。しかし、このことは何も五代・喜八だけに限ったことではない。田畑家の歴史は、親子の葛藤の歴史でもあると言う。
しかし、ケンカばかりした父親が亡くなった頃、五代・喜八が気づいたことがある。実は父親は、五代・喜八が大学時代に学んだ「理屈」の話と全く同じことを彼に伝えていたのだ。その一つが、「画の六法」である。画の六法とは、中国・斉(479-502)の時代の画家・謝赫による画論のこと。「気韻生動:迫真的な気品を感じ取ることが可能であること/骨法用筆:明確な描線で対象を的確にあらわすこと/応物象形:対象の形体を的確にあらわすこと/随類賦彩:対象の色彩を的確にあらわすこと/経営位置:画面の構成を大事にすること/伝移模写:古画を模写すること」の六画法は絵画制作・絵画批評・絵画鑑賞の総てに適応できると言われている。五代・喜八は中でも「気韻生動」を例えに出し、父親は「どんな物でも、その物の中に魂が脈打ってないといけない」ということを伝えたかったのではないかと語る。五代・喜八は、いつからか風景を思い浮かべながら線を引くようになった。真横に引いたら「かすみ」、斜めに引いたら「雨」。線が意志を持ち、その風景が着物の中で動き出すかのように。

着物は継ぐものであり
同時に見るものでもある。

江戸時代までは一番大事な着物は、移り香が乗り移っているからその人が亡くなると菩提寺に着物を納めていた。お坊さんの袈裟や打敷などに形を変えて菩提を弔うためだ。実は、壬生狂言の衣裳もお寺に納められたものを使用しており、裏地に南無阿弥陀仏や戒名が書いてあるらしい。鳥山石燕の妖怪画集「今昔百鬼拾遺」や「狂歌百物語」には「小袖手」という妖怪が登場する。本来、亡くなった人間の小袖は形見の品になるか寺に納められて供養される。しかし、高級な小袖が売却され成仏できない霊がその小袖に取り憑いたと言われている。「形見分け」という言葉も着物から発祥した。昔から着物は、“その人自身”を表すもの。持ち主が亡くなっても、誰かの何かの一部になって持ち主の想いと共に生き続ける。
さらに、五代・喜八は着物とは着るだけの物ではなく、見る物でもあると言う。桃山時代から江戸時代にかけて、着物を衣桁に掛けた様が描かれた「誰が袖屏風」が流行。日本は昔から衣桁や衝立に着物を掛けて、玄関のインテリアや部屋飾りとして人の目を愉しませてきた。着物は衣装にも、インテリアにもなる。さまざまな愉しみがあるのも着物の醍醐味だ。

着物を着れば、
もっと外出が楽しくなる。

昨今、非常に安く洋服を買える一方で、高価でしかも着付けが面倒な着物を日常的に着る習慣がなくなった。いわゆる着物離れである。五代・喜八は数十年前から着物の未来を案じていたが、さまざまな視点から考え着物の未来は暗くはないと判断した。特に、着物を着るプラスの要素に注目した。
五代・喜八は展示会で「今、着物っていらんでしょ?」と、華主にあえて問いかけ、こう付け加えるのである。「着物を着て外出する人は数日前から用意して気分がウキウキするでしょ。それに、第三者から見て着物姿の女性を見て悪いことを言わない。むしろ褒められるから、愉快な気分になって帰って来れるんや」。さらに、洋服の流行は激しく数年後には着なくなるものも多いが、着物はそもそも流行とは関係なく寿命も50年持つと言われている。1着持てば、それこそ孫の代まで着ることができる。時代が変わっても着物を着ることで楽しい気分を演出するのも、五代・喜八の大事な仕事だ。

田畑 喜八

五代・田畑 喜八ごだい・たばた きはち

伝統工芸士
田畑染飾美術研究所 代表取締役
社)日本染織作家協会理事長
京友禅協同組合連合会伝統工芸士会 会長
財)京染会理事長
京都伝統工芸士会連合会会長
旭日双光章 受賞
文化庁長官 表賞
事務所名
(株)田畑染飾美術研究所
所在地
京都市中京区下丸屋町453
TEL
075-231-1656
FAX
075-211-1473
五代・田畑 喜八 (ごだい・たばた きはち)