職人が腕を上げるために
心のライバルが必要。
職人は常に何かと戦い続ける。師匠・先輩の職人・同期の職人・若い職人。森本は、自分の腕を上げるためには「心のライバル」が必要だと言う。例えば森本が若かりし頃、朝から晩まで師匠の仕事と自分の仕事を競争した。競争していることは、師匠には言わずに。初めの方は森本が数をこなしていたが、昼が過ぎる頃には師匠の仕事数に圧倒され、夕方には雲泥の差。1日が終わる頃、仕事数はもちろん技術の差も誰が見ても明らかだった。「簡単に見えるものほど、実は難しい」。目の前でまるで魔法をかけたかのように仕上がっていく包丁。しかし、その時に職人は様々な技を駆使し仕事をしている。師匠とは技術と経験の差が圧倒的に違うことに気づき、森本はその悔しさからさらにキレイに早く仕事をこなす方法を考える。それが熟練の職人や、同じ年くらいの職人の場合も同じ。森本は心のライバルを作り、職人としての腕を磨き続けた。
戦いの日々の中、森本はスピードを上げるために気づいたことがある。それは、鍛冶職人の癖をいかに見抜くか。どんなに精巧に仕上げられても、職人の癖はどうしても出てしまう。だから、その癖を見抜くことで包丁の歪みを取って真っすぐムラなく研げる。森本は多くの仕事をこなす上で、鍛冶職人の癖を意識してのぞんだ。これは森本がもがきながら発見したことである。
他の職人に負けたくない、他の職人よりもいい仕事をしたいという気持ちが、技術を発展させ新たな知識を生み出す。それもこれも心のライバルがいたからこそ。心のライバルを作り、時にはそのライバルと切磋琢磨してきたことで、堺打刃物の技術と美しさは守られているのだ。
現代に伝わる包丁は
造形美と機能美の完成形。
全ての物には、理想の形がある。それは長い年月をかけて造形美と機能美を追い求めて辿り着く形。森本は、現在まで日本に伝わってきた包丁の形こそ完成形だと絶賛する。特に、刃の形。森本は堺打刃物の職人として何十年と仕事をしてきて、幾度となく新たな刃のデザイン開発に挑戦してきた。しかし、包丁を持った時の絶妙な重心のバランスや和包丁独特の美しい質感を生み出すことが出来なかった。森本は「何度やっても、一度も格好良くなったと思わなかった」、と挑戦の日々を振り返る。新しいデザインで成功したものはない。それほどまでに、現在の堺打刃物のデザインは秀逸なのである。
さらに森本はこう語る。「包丁は見た目の美しさも大事だが、やはり使ってもらって初めて良さが分かる」、と。包丁の絶妙な重心のバランスは力の入れ方を変えるだけで、様々な切り方を可能にする。これは、料理の中に美を配する時に必要不可欠。だからこそ、堺打刃物は国内で活動する多くの料理人に愛されているのだろう。
堺打刃物は、先代たちが編み出した技や知識が蓄積されて現在の形へと辿り着いた「包丁の完成形」。しかし、森本は言う。「技術には、まだまだ先がある。だから勉強せなあかん」。彼にとっての伝統とは、完成形と絶賛する包丁の形をしっかりと守り、後世に伝えていくこと。そのために、いかに自分の代で終わらせないかを考える。凄腕職人街の参加もその一つ。日頃、伝統的工芸品になじみのない人と出会い、堺打刃物の魅力を伝えるのも森本の大切な仕事である。
料理をおいしくする秘訣は
森本が作る包丁。
現在、日本で活躍する料理人の過半数が堺で作られた包丁を使用している。これは、堺打刃物特有の切れ味の良さが、多くの料理人たちの信頼を得ているから。しかし、森本は「信用を作るのは10年かかるけど、信用を落とすのは1日。職人は、技術で仕事をしないといけない。だからこそ、使ってもらえるものを作らなければならない」と語る。それは、ただ一様にいい仕事をできたらいいというわけではない。堺打刃物の技術を守り、次の時代に受け継ぐことができるか。そのために、いかに自分が食べていける技術を持っているか。この2つを意識しなければならない。「だからこそ、自分は職人であり作家や芸術家ではない」と言う。使ってくれる人がいるからこそ、いつの時代にも必要とされる。その一つが、森本が作る包丁なのだ。
だから彼は「包丁ではなく、料理に役立つ道具を作っている」と表現する。例えば、家庭で普及しているセラミック包丁は柔らかい肉・魚・野菜は切りにくい。しかし、森本の包丁はトマトに刃を当てただけで切ることができ、形が崩れない。これは、堺打刃物が柔らかい物を切るのに適しているからだ。ダイヤモンドの硬度を100とすると、ドイツの包丁は55なのに対し、堺打刃物は62と言われている。つまり、堺打刃物は海外の包丁に比べて硬い。その硬度を実現するために、「鍛冶」「刃付」などの職人の技が活かされる。
堺打刃物は、特に繊細な技術が必要な日本料理には欠かせない。食材の旨みは使用する包丁で変わってくる。森本は堺打刃物だけではなく、日本料理の伝統も支えているのだ。