使う人のことを考える
鈴木の奈良筆。
なぜ奈良から筆が生まれたのか。それは、文字を扱うのが当時の権力者だけだったからである。文字を扱える人が増えたのは、寺子屋が普及した江戸時代。そして、文字を書くことが一般化した。
鈴木は「何をするにしても、全ては書くことから始まる」と言う。例えば、目の前にいる人を理解すること。「文字はその人自身を表わす。その人の性格や人柄が出ていればいい」と鈴木は語る。だからこそ、彼は書きたい書やその人の手に合った筆を作る。使う人のことをイメージして筆に想いや気持ちを込めるために、全工程を分業ではなく1人で行う。そのように丁寧に作られる筆への最大の称賛は、「最高の日用品」として使い込んでもらうこと。つまり、日常的に使用し、使えば使うほど、愛着を感じる道具として奈良筆を選んでもらうことである。もし使い込んで不具合が生じても、その筆を送ってもらい鈴木がメンテナンスをする。「奈良筆は買って終わりではなく、買ってからお付き合いが始まる」と語り、鈴木はこう付け加える。「筆をずっと慈しんでいただきたい。そのためのお付き合い」、と。
確かに現代は筆を使う時代から、筆を使わない時代へ移ったのかもしれない。しかし、「書く」ということはなくならない。「書く」ということが存在する限り、奈良筆は多くの人とつながる可能性を秘めている。それは、書家や画家に使ってもらう特別な筆も、普段使いの筆も同じ。鈴木は、今日も使ってくれる人のことを考えて筆を作っている。
化粧用の紅筆が
大切な人をつなぐ。
鈴木は自分が作った筆について「作品ではない。使ってもらってなんぼ」と語る。しかし、現代、筆は普段使いする道具ではなくなった。最近では式典の芳名録や花輪も筆で書かれたものも少なくなっている。
鈴木はある時、お客さんのニーズや生活シーンに合ったものを作らないと奈良筆は衰退してしまうと考え、書画筆だけではなく、「紅筆」をはじめとする他の工芸品づくりにも着手した。紅筆とは、口紅を塗る時の化粧用筆のこと。初めは、その紅筆を工芸展に参加した女性スタッフへの贈り物用として作った。鈴木が作る紅筆は、筆先が非常に細く絶妙なしなり具合で輪郭が塗りやすい。さらに口紅含みが良いので塗りつぶしやすい。その使い心地の良さから口コミで瞬く間に話題となった。
現在、紅筆はお世話になった方の奥さんのお見舞い返しや母の日の贈り物として好まれている。奈良筆作りで培ってきた技術と知識を紅筆に込めることで、多くの人に喜ばれる物を作った。
もし仮に壊れても鈴木が修繕する。しかし、彼の紅筆はなかなか戻ってこないと言われている。それは、丁寧な仕事を施し、筆が丈夫だからだ。これからも鈴木が作る筆はお客さんとの良い関係を育み続ける。
筆を通じて人と出会う。
筆から命を学ぶ。
鈴木が大事にしているのは、出会いの場。2011年の凄腕職人街で使用されたキャッチコピー「めぐりあいたい技と心」も鈴木が考案した。職人とお客さんが出会える場としての凄腕職人街の催事は大切な機会。彼は人と会って、筆について様々なことを聞かれることを望む。そこに改良や工夫の余地があると言う。そのことが、筆作りに良い影響を与えるのだ。
もう一つ、鈴木が大事にしている活動が小学校で行う特別授業。これは子どもたちに伝統的工芸品に触れてもらう現場を体験してもらうというもの。そこで鈴木は、自ら作った筆で子どもたちに芳名録に自分の名前を書いてもらうと言う。鈴木は、書を見る時にまずは名前を見るらしい。その人が書いた「名前」は最もその人を表わす。同時にその人にとって最も愛着のある言葉である。鈴木は子どもたちのどれも似ていない「名前」という作品を見るのが楽しみだと言う。
さらにその体験を通して、鈴木は奈良筆や文字の面白さだけではなく、命の尊さも伝える。羊・馬・鹿・狸・イタチ・兎・リス等、多種多様な動物の命をいただいて生まれる奈良筆。鈴木は多くの命に感謝しながら筆を作っていることを子どもたちへ伝える。それは筆だけではなく、食べ物や身の回りにあるもの全て同じこと。奈良筆を通じて、多くの人と出会い多くの学びが伝わることを鈴木は望んでいる。